本木が演じる主人公はチェロ引きであったが、やっと就職したオーケストラは解散することになる。
そんな、まるで演技の訓練がなされていないような演技をフィルムに定着させても、誰も映画を見に行く価値があるのかと、反論される方も、おられるだろう。。
ことに、アカデミー賞を受賞した後では、映画の鑑賞者は世界に広がっています。
そして、広末もまた、日常生活のなかでの自然な気持ちの流れを表現することをこころみ、今回は、本格的な役者陣に混じって、みごとなアンサンブルを見せることに成功したのだ。
そして、本木にとって、チェロを弾くことは、生き方を探っていくこと、映画を作っていくことだった。
コンサートは、今も続いている。
それどころか、新しい演技の模索を試みたものだった。
本書の著者は本木さんを人間的に信頼されておられます。
そう考えるとき、おくりびとの脚本は、作品に世界レベルの普遍性を与えたという意味でよかったといえると考えます。年上の夫に、私の読んでいる本を見て
チェ・ケバラを知らない日本人なんかいるのか!!と言われ
ややむかつきながら、読みました。
また、芸術映画と異なり商業映画はきわめて広い視聴者層を想定し、そうであるからこそ、商業映画が与える社会的影響力は大きいのです。でも・・・今のアンダー40の人達ってあんまり知らないと思うよ
だから、そういう人は、おじ様たちに馬鹿にされないように読んでおくべきかな??かつて見た平田オリザの北限の猿という新劇と同じ感触を、おくりびとでの広末涼子は見せてくれた。
以上は映画おくりびとの感想です。
記録文学としての本書と映画としての、おくりびとは、異なる範疇に属します。私にとってチェ・ケバラは名前も知らない人でした。
しかし、広田オリザの北限の猿は、演技の修練を怠って上演されたものではない。
そして、映画を鑑賞したあとで、事実上の原作が本書であることを知りました。
おくりびとの滝田監督は、本格的な映画にこそ、新鮮な演技の流れを盛り込むべき時がきたことを知らせてくれたのだ。
もうオーケストラで演奏できない。
映画の中で本木が弾くチェロに、もっとも耳を傾けていたのは、広末だった。
しかしながら、著者は、映画の脚本には、本書のもっとも大切な部分についての深い理解が不足しているのではないかと考えておられるそうです。
初めて読んだチェの本としてはよかったですが、そんなに英雄なのかな??
まあ、知識として知っておく、肯定的で正しい知識を持つと言う意味では
有益でした。
しかし、そうであるからこそ、本書で著者がもっとも訴えたかったことを、より強く映画に反映していたらという思いも、きわめて強く理解できるのです。
それは、若者の日常の生活感を、そのまま演技したものだ。
ちなみに30代です
くにとみ のぞみ
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